2009年4月27日月曜日

部員、激しく募集中!!



部員募集中!!
mitsui.seagulls@gmail.com

2009年4月19日日曜日

Cougars vs Rise @Ōi Stadium 090419




1Q
2Q
3Q
4Q
Total
Cougars
0
0
0
0
0
Rise
35
28
21
35
119

※追記:お詫びと訂正(2009/4/23)

当ブログ内の相模原ライズ様の表記がすべて”Rize"となっており”Rise"に訂正させていただきました。相模原ライズの関係者、ファンの方々にご迷惑おかけしましたことを深くお詫び申し上げます。画面右上にあります投票に関しましては内容変更が不可であるためTBB終了後削除させていただきます。また、ご親切にご指摘してくださった方に深く感謝申し上げます。

管理人

2009年4月18日土曜日

vs Harbors @Ōi Stadium 090418




1Q
2Q
3Q
4Q
OTTotal
Seagulls
0
0
0
0
6
6
Harbors
0
0
0
0
0
0

2009年4月15日水曜日

及川USA For All Japan Vol.5



本人談:
returnerが50yardを越すぐらいに、すぐ上でブロック決めてます。因みに、最近unnecessary roughness etcでフラッグが多いのと、このタイミングで思いっきりブロックすると相手が○ぬんじゃないかなと思ったので、50%パワーぐらいに手加減してます。

及川USA For All Japan Vol.4

ノートルダム・ファイティング・アイリッシュ “レジェンズ”

ノートルダム・ファイティング・アイリッシュ“レジェンズ”
選手プロフィール

ジョー・ブロッキントン(Joe Brockington)
ポジション:ラインバッカー(LB)
在学期間:2004-2007
ノートルダムでの最初の2 年はスペシャルチームとして活躍し、その後タックラーとして花開き、最後の21試合ではチーム1 位のタックル数を記録している。在学中にマークした合計179 タックルの内、実に166タックルはその21 試合で決めたものである。
ブロッキントンは出場した47 試合中20 試合でスターターを務め、12 のロスタックル、2 サック、1 ファンブルリカバー、2 つのパスカットで貢献。2003 年のインサイトボウル、2005 年のフィエスタボウル、LSU と対戦した2006 年のシュガーボウルに出場している。キャリア最高の試合は、15 タックルを決めた2006 年の空軍士官学校戦である。
2008 年にはバッファロー・ビルズとドラフト外で契約を交わし、ミニキャンプに参加した。

ジェフ・バリス(Jeff Burris)
ポジション:ディフェンスバック(DB)
在学期間:1990-1993
サウスカロライナ州ロックヒル出身のバリスは、”ホルツ・エラ”の1990 年から1993 年までノートルダム大学でプレーした。
4 年生の1993 年には3 人のキャプテンの1 人として、チームを11 勝1 敗のシーズンへと導き、大学での最終戦をテキサス農工大とのコットンボウルを制して飾った。その年、バリスはモノグラムクラブにより、チームMVP に選出されている。
1994 年のNFL ドラフト第1 巡指名でバッファロー・ビルズに入団後、1997 年までコーナーバック、パントリターナーとして活躍。キャリア100 回のパントリターンはチーム記録となっている。また、2008 シーズンにロスコー・パリッシュに破られるまで、キャリアでのパントリターン獲得距離(1,045 ヤード)でもチーム記録を保持していた。
現在はインディアナ州のフィッシャーズ高校で、DB コーチを務めている。

ディーク・クーパー(Deke Cooper)
ポジション:フリーセーフティー(FS)
在学期間:1996-1999
ボウルゲームを含む47 試合に連続出場し、1999 年にはザ・スポーティング・ニューズ誌より全米8 位のフリーセーフティーにランクされた。最終シーズン終了後は、ブルーグレイ・クラシック・ゲームでプレーした。
2000 年にはドラフト外でNFL アリゾナ・カーディナルスと契約。2002 年にはカロライナ・パンサーズと契約し、初めてプレー機会を与えられる。2003 年から2005 年はジャクソンビル・ジャガーズで154 タックル、3インターセプトを記録。2006 年をサンフランシスコ49ers でプレーすると、2007 年に再びカロライナに戻り、59 タックル、3 インターセプトと活躍した。2008 年にはアトランタ・ファルコンズと契約している。クーパーは
2002 年にNFL ヨーロッパのライン・ファイアーでプレーし、リーグのディフェンスMVP に輝いている。
インディアナ州エバンスビルのノース高校出身で、高校時代はインディアナ州のプレーオフに進んでいる。

アンソニー・デンマン(Anthony Denman)
ポジション:ラインバッカー(LB)
在学期間:1997-2000
1997 年から2000 年までノートルダム大に在籍。1999 年と2000 年に、毎春恒例のオフェンスとディフェンスによるスクリメージであるブルー-ゴールドゲームで、ディフェンスMVP に選ばれた。4 年となりチームキャプテンを務めた2000 年には、84 タックル、55 のソロタックル、14 のロスタックル、2 つのファンブル誘発(同率)と、複数のカテゴリーでチームトップの記録を残し、チームMVP も受賞。複数のオールスター戦にも出場した。さらに、フットボール・ニューズ誌より独立校のプレーヤー・オブ・ザ・イヤーに、AP 通信が選出するオールアメリカンでは第2 チームに選出された。
テキサス州のラスク高校ではチームのスター選手として、ポストシーズンのラッシング記録を樹立した。
デンマンは2001 年にクリーブランド・ブラウンズと契約。2002 年はバッファロー・ビルズと1 年契約を結んだ。

オートリー・デンソン(Autry Denson)
ポジション:テイルバック(TB)
在学期間:1995-1998
ノートルダム大学のラッシング記録4,813 ヤードの保持者。3 シーズン連続での1,000 ヤードラッシュを達成した1998 年、11 月14 日の対海軍士官学校戦において、107 ヤードを獲得してアレン・ピンケットの4,131 ヤードの歴代記録を更新した。
在学中に100 ヤード以上を獲得した試合は合計22 回で、ピンケットの21 回のチーム記録を更新した。タッチダウンは43 回、オールパーポスでの獲得距離は5,327 ヤードで、これもピンケットの5,259 ヤードの記録を上回っている。また、デンソンは2 年連続で、オールアメリカンの第2 チームにも選ばれている。
卒業後は、1999 年のNFL ドラフトでタンパベイ・バッカニアーズに第7 巡指名で入団。マイアミ・ドルフィンズ、シカゴ・ベアーズ、インディアナポリス・コルツで通算5 年のNFL 経験がある。NFL ヨーロッパのライン・ファイアー、およびCFL のモントレアール・アロエッツでも活躍した。
現在はフィナンシャル・アドバイザーとして主にプロのスポーツ選手を顧客に持つ。

クリス・フローム(Chris Frome)
ポジション・ディフェンスエンド(DE)
在学期間:2002-2006
2002 年から2006 年までディフェンスエンドで活躍。全米大学スポーツインフォメーションデレクター協会による地区学業優秀選手選抜に、2 年連続(2005 年と2006 年)で選出された。最終学年は10 試合でスターターとなり、シュガーボウルではLSU を相手に2 つのタックルを決めている。キャリア成績は45 タックル、1.5 サック、8 パスカット。
カリフォルニア州のハート高校では、ロサンゼルス・タイムズ紙より州のオールスターにディフェンスエンドとして選出された。シカゴ・サンタイムズ紙には全米トップ91 番目の選手にランクされた。2007 年にシカゴ・ベアーズとドラフト外で契約を結んだ。

ブライン・マッツ(Brian Mattes)
ポジション:オフェンスライン(OL)
在学期間:2002-2006
2002 年のノートルダム大学への入学初年度はプレーぜず、2003 年から4 シーズンでプレーした。オフェンスラインの控えとして貴重な役割を果たし、主にスペシャルチームで活躍した。
ペンシルバニア州のワイオミング・バレー・ウェスト高校時代は、AP 通信によりペンシルバニア州のオールスターにディフェンスエンド(2 年時)、タイトエンド(3 年時)で選出される。3 年時は70 タックル、13 サックと、34 回のキャッチで400 ヤード、2TD を記録している。

ボブ・モートン(Bob Morton)
ポジション:オフェンスライン(OL)
在学期間:2002-2006
ノートルダム大学には5 年在籍。2005 年にはオフェンスの1 試合平均36.7 得点、477.3 ヤード獲得に貢献。ランニングバックのダリウス・ウォーカーやジュリアス・ジョーンズの活躍を支えた。
テキサス州のマッキンネー高校では、USA トゥデイ紙により、オフェンスラインとして高校生のオールアメリカン第2 チームに選ばれた。またシカゴ・タイムズ紙からは、全米98 番目のプレーヤーにランクされた。

グレグ・ポーリー(Greg Pauly)
ポジション:ディフェンスタックル(DT)
在学期間:2000-2004
2000 年から2004 年までノートルダム大学に在学。入学初年度は夏のオールスター戦で膝を怪我したため出場せず、5 年目も登録が認められディフェンスラインとして活躍した。
5 年目は12 試合でスターターを務め、37 タックル、1 サックを記録する。4 年時は20 タックル、2 サックを決め、ボストンカレッジ戦ではそのシーズン米国のリーディング・ラッシャーとなったデリック・ナイトをわずか23 キャリーで43 ヤードのランに押さえ込んだ。

ティム・ルディー(Tim Ruddy)
ポジション:センター(C)
在学期間:1990-1993
1990 年から1993 年までノートルダム大学に在籍。4 年連続でレターマン(優秀スポーツ選手賞)を受賞し、2 年間スターターとしてプレーした。ザ・フットボール・ニュース誌およびAP 通信より、オールアメリカンの第2 チーム、独立校選抜に選出されている。
1994 年のNFL ドラフトでは、マイアミ・ドルフィンズより第2 巡目指名を受け入団。156 試合出場の内、140 ゲームに先発出場した(スターターでなかった16 試合は入団初年度)。キャリアの大半はダン・マリーノのセンターを務めた。2001 年にはプロボウルに選出される。ドルフィンズのセンターとしてプロボウルに選出されたのは、殿堂入りしたドワイト・スティーブンソン以来の栄誉である。キャリアの最後の数年は膝の怪我に悩まされ、試合での活躍も限られた。

フランク・スタムス(Frank Stams)
ポジション:ディフェンスエンド(DE)
在学期間:1984-1988
入学時はフルバックとしてプレーしたが、途中からディフェンスエンドに転向しオールスターに選出されるほどに才能が開花。ルー・ホルツ・ヘッドコーチの下、1988 年の全米王者に貢献し、オールアメリカンにも選出された。
1986 年は怪我で欠場となるが、在学5 年目のシーズンではディフェンスエンドとして全12 ゲームに先発出場を果たした。ウェストバージニア大学に勝利したフィエスタボウルにおいては、評判の高かったノートルダム・ディフェンスの中核選手として活躍した。
1989 年にドラフト第2 巡指名でロサンゼルス・ラムズに入団。その後クリーブランド・ブラウンズ、カンザス・シティー・チーフスにおいて、通算7 年NFL でプレーした。
現在はオハイオ州のアクロンに妻と二人の子供とともに在住し、アクロン大学のラジオ局のアナウンサー、およびエバンズ保険代理店のバイス・プレジデントを務める。

トラビス・トーマス(Travis Thomas)
ポジション:ラインバッカー(LB)/ランニングバック(RB)
在学期間:2003-2007
ノートルダムには5 年在学。入学当初はランニングバックとスペシャルチームで活躍した。2006 年の4 年時にスペシャルチームのキャプテンに指名され、同時にラインバッカーに転向。5 年時にはチームキャプテンを務めながら、ランニングバックとしてもランによるタッチダウン数でチームトップの成績を残した。
ワシントン高校時代にはスーパープレップ誌のオールアメリカに選出され、2002 年にはチームをペンシルバニア州AA クラス優勝へと導いた。2 度MVP も受賞し、US アーミー・オールアメリカンボウルでは文武両道のアスリートとして表彰された。
トーマスは2008 年にクリーブランド・ブラウンズとドラフト外で契約し、トレーニングキャンプに参加した。

シェーン・ウォルトン(Shane Walton)
ポジション:コーナーバック(CB)
在学期間:1999-2002
ノートルダム大学では、コーナーバックとしてすばらしい活躍を見せた。2001 年には、フットボール・ニューズ誌によるプレシーズンの独立校選抜への選出を受け、実際にチーム最多の8 つのパスカットを記録しそれに応えた。ピッツバーグ大学戦では、初のインターセプトとファンブル誘発を決めた。また海軍士官学校戦では、NBC/シボレー・プレーヤー・オブ・ザ・ゲームを受賞。2002 年には7 つのインターセプトでチームをリードし、オールアメリカンに選ばれた。
入学初年度はサッカーにおいても、ノートルダム大学のスター選手であった。10 ゴールと7つのアシストでチームをリードし、1992 のビル・ランザ以来初めて、1 年生ながらチームの得点王に輝いた。
2003 年にドラフト5 巡目でセントルイス・ラムズに入団したものの、背中の怪我で試合出場の機会は限られた。2004 年にはピッツバーグ・スティーラーズと契約した。

レイ・ゼラーズ(Ray Zellars)
ポジション:フルバック(FB)
在学期間:1991-1994
1994 年に大活躍したランニングバック陣の主要選手。2 年生のマーク・エドワーズと二人で絶妙のフルバックコンビを構成し、リンディーズ誌のランキングで全米2 位に選ばれる。同年スポーティング・ニュース誌からもフルバックで3 位に選ばれ、万能選手としての評判を高めた。シーズン終了後のオールスター戦であるシニアボウルにも出場した。
1995 年にニューオリンズ・セインツから、全体44 番目のドラフト指名を受け、4 年間プレーした。1997 年には552 ヤード走り4TD を記録。キャリア最高の年となった。
引退後はピッツバーグにある出身校のオリバー高校でコーチとなり、現在はデュケイン大学でランニングバックコーチを務める。


ノートルダム・ジャパン・ボウル特設サイトより引用

及川USA For All Japan Vol.3

及川USA For All Japan Vol.2